浪人時代 後編
怒涛の夏休み終了後、センター対策をいよいよ本格的にやる必要が出てきました。
元々が勉強嫌いなもので、自分自身に対して言い訳を作りのらりくらりと逃げてきたのですが。

平日に学科の予備校に行くことになり、私の一週間は全て予備校で埋まりました。
(土・日は実技)

平日は午前授業を受けたあと、午後は自習室にこもり一日に10時間ぐらい勉強していたと思います。夏休みまでは30〜40だった偏差値も10月ごろの模試では人並みになり、勉強に関しては順調に調整できていました。

一方、実技は特に立体が上手くいかず、現役の後輩たちは着実にレベルを上げていて、正直焦っていました。その焦りとともに、俺はダメなんじゃないかという不安を持つようになり徐々に自信をなくしていきました。

そんな調子のまま12月の半ば、過労とストレスのせいか生まれて初めてアレルギーになり、体中に発疹ができて、完全に精神的にまいってしまいました。さらに、最初に行った病院で誤診され、アレルギーがなかなか治らず二週間後、母親の紹介で電車で一時間ほどの違う病院に通うことになり予備校も休みがちになりました。幸い、次の病院では適切な診断をされアレルギーは年を越す頃には引いていきました。

しかし、上手く気持ちを切り替えることができず勉強がすっかり手につかないままセンターをむかえました。センター後の自己採点、結果は最悪。もう浪人できないと思っていた私は芸大は諦め、私大に切り替えました。

多摩本番までおよそ二週間ほどでしょうか。この時期に、私は浪人後初めて多摩の立体を作りました。この記事をデザイン科の人が見たら、なめてるのかと怒ることでしょう。すいません。ですが、私も必死だったのです。

1,2個作ったところで、現役時代の感覚が戻ってきて調子が上がってきました。加えて、建築科の講師の方々が講評で指摘されるポイントは、現役時代デザイン科にいた頃、指摘された事とはまた違っていてとても勉強になりました。

本番が近づき少しでも上手くなろうと私自身も必死で、講師の先生方にどんどん聞くようになり、同時に少しずつ打ち解けていく気がしました。

学科に関しても、同じく芸大を諦めたセンター後から私大対策をはじめました。それに関しては、学科対策でご紹介していますので省かせて頂きます。

そうして二週間ほどが過ぎ、多摩美に関してはある程度納得した状態、武蔵美に関しては課題をいくつか残した状態で本番をむかえました。



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