浪人時代 前編
浪人後、それまでいた予備校での人付き合い(特に講師との接し方)に疲れ、講師は自分のことを嫌っているんじゃないかという錯覚までするようになり、仲の良い友達とも接し方が分からなくなり、逃げるように予備校を去りました。偶然、某予備校の建築科のスカラシップ(一番下のランクですが)に受かりそこに行くことになりました。

そこでは、心機一転頑張ろうと決意したのですがなぜか四月に大学生になった友人たちに紛れ私は教習所で免許を取っていました。平日は全て免許の教習にそそぎ、土日に予備校で課題をこなすという浪人生とは思えないスタートをきりました。努力のおかげ(?)で私は三週間で免許を取りました。学科・実技は相変わらずでした。

新しい予備校では最初はぎこちなかったものの、徐々に友達も増え楽しく通えました。以前いた予備校では授業中は真剣そのもので私語禁止でピリピリした空気が張りつめていたのですが、後に通うことになった予備校では課題製作に対してはもちろん真剣に取り組みますが、授業中の私語も大丈夫なようでアットホームな空気でした。最初は慣れなかったのですが、あとになってみるとこの雰囲気のおかげで、課題に取り組むときに友達と意見交換もできるし、なによりストレスがあまりたまりませんでした。

最初は芸大を目指していたので、主に芸大用の立体構成・空間構成・建築写生をこなしていました。センター対策はまだ大丈夫だろうと、調子こいていたのですが後にこれが悪夢を招きます。(ちなみに当時の偏差値は30台でした・・・恐ろしい)

当時はまだ講師の方とコミュニケーションを取るのは苦手で、エスキースを相談することもなく自己完結して課題に取り組んでいました。当然、実技はなかなか進歩しませんでした。

しかし夏休み前ごろになると、数をこなしただけあって徐々にですが進歩が見られるようになりました。意外だったのは、パースの勉強は授業の中でやると思っていたのですが、そうではなく各自で勉強するということでした。本屋でパースの本を立ち読みしてみると、思ったより難しくなく現役の頃に知っておけばよかったと後悔しました。授業の中では、パースに対して間違った捉え方をしているところだけ先生方に修正してもらいました。

夏休みに入る頃に、一般の大学を目指す友達から一緒に予備校の夏期講習に行かないかと誘われ、確かに学科はかなり遅れていたので行くことにしました。
それまではバイトもしていたのですが7月一杯で辞め、完全に受験体勢に入りました。

午前は実技、午後は学科という受験生らしい夏は沢山の課題を残しつつも無事に終わりました。




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